カブのシチュー(料理メモその2)

料理を待つカブ

先日に続いて今日も料理ばなし。
実家から採れ立てのカブが届いた。大小不揃いだが立派なカブたちで、生で食べても瑞々しく、漬物用にと、塩をまぶして水を抜きをすると、みるみる(は、大げさか)水が出てくるぐらいの新鮮さ。さっそくカブのシチューをつくることにした。
小麦粉をまぶした鶏肉とタマネギ、ニンジン、マッシュルームを炒め、ローリエを加えて、しばらく煮込む。そのあとトウモコロコシと櫛切りにしたカブを投入。灰汁をとってコンソメ、塩、コショウで味を調える。
そのあいだに小麦粉をバターで炒め、粉くささがなくなったところに冷たい牛乳を入れて、もう一度火をにかけてホワイトソースをつくる。ホワイトソースなんて簡単なものである。もちろん市販のものを使ってもいいのだが、なるべくはできるものは自分でやってみようと思っている。冷蔵庫や洗濯機をはじめ、掃除機、食器洗い乾燥機、除湿器(はちがうか?)といった電気器具と同様に、パスタソースやカレールーなどレトルト食品や出来合いの惣菜などは、すべて「家事」という拘束時間の長い労働(しかもアンペイド!な仕事)からの解放をめざしたものであって(たぶん)、忙しい日常を生きる現代人にはなくてはならないものである。そうでなくても、たとえば記憶や計算機がわりにパソコンを使うといった生活にドップリつかっている身としては、お手軽な生活道具は肯定こそすれ、批判なんてとんでもない。みんな平等に楽でおいしい生活をする権利がある。
けれども、である。今日は休日である。時間はたっぷりある。しかも新鮮な野菜が手に入ったではないか。多忙な日常、便利な毎日で、こんな機会はめったにない、ならば、労を惜しんでいる場合ではない、という次第である。
とここまで偉そうにいろいろと書いておきながらなんだけど、そもそもレシピを発表しようとか料理論をぶとうとかいう気はなく(ましてや私はこんなに偉いんだなんていう気もないし、事実、ぜんぜん偉くない)、ただ、季節のものをその季節に食べることってけっこう贅沢でありがたく、ちょっと刺激的なことなんだな、という感想をもったということだけだったりもする。おそまつ。