ぼろやの記憶はどこにいく

先日、世田谷美術館で「宮本隆司写真展」を見てきた。建築の死と再生を記録してきた写真家だが、やはりなかでも阪神・淡路大震災の写真にはことばを失った。いくつかの建築に関する書籍でなんども見てきた写真だが、スケールの大きい展示は、これまでとは違う印象を与えるものである。徹底的な静けさと同時に激烈なまでの激しさといったらいいのだろうか。

人為を超えた圧倒的な力で、建物や生活だけでなく、そこに流れている時間までも文字どおり破壊つくした震災。飯島洋一が『現代建築・テロ以前/以後』(青土社)で、震災後の磯崎新の建築家としてのスタンスを批判していたが、この圧倒的な時間/空間の切断を前にして、自分なら何ができるのだろうかとやはり考えてしまった。

わけあって、昨年、都内のおんぼろ住宅を購入した。もちろん耐震設計のわけはなく(建築科の学生によるとすでにゆるやかに傾いているそうだ)、阪神・淡路大震災クラスでなくでもひとたまりもない。ならばこのさい、建物はあきらめるとして、せめてここで暮らして、見て、感じたことを残していければと思い、日記を書くことにした。今日がその初日だが。これから少しずつ、気の向くままにぼろやとこれまた月並みな住人について記していこうと思う。